26年間(1991年7月〜)もお世話になった、アイフルホームの販売を今年の12月で止めることにいたしました...。
残念ですし、悲しい気持ちでいっぱいです。『アイフルホーム』は日本にいくつもの『住宅革命』を起こした程の素晴らしい住宅だったことは、私は一生忘れることはありません。
どうして止めるんですか...(?)と言うと、
①フランチャイズ住宅なので自社のエリア(鈴鹿・四日市・桑名)以外に出店することができないからです。アサヒグローバルは現在、一宮や尾張旭にもグローバルタウンを展開していますし、来年は春日井や瀬戸にも出る予定がありますね。しかしいくらアイフルホームが好きでも、そこに出店することはできないのです(他社の加盟店がいますから)。
②もう1つの理由は経営の効率化でしょうか。鈴鹿・四日市・桑名にはグローバルタウンとアイフルホームの展示場があって、2つで同じ様な住宅を販売していますから2倍の経費がかかっていました(人件費や一般経費)。そして愛知県へも出店していますので人材がたくさん必要なんですね。特に店長候補がなかなか居ませんから、アイフルの店長達をグローバルタウンの店長にするしかありませんね。この2つが退会の理由です。(退会しましても、アフターメンテナンスは何も変わりません。ずっと定期訪問してメンテナンスを行いますのでご安心ください。)
さてしかし、私としては何か淋しい気持ちでいっぱいですね。私の『住宅バカ一代』は全てアイフルホームで学んで、先輩の加盟店のベテランの社長さん達に教えてもらった事ばかりなんですから、退会は身を切られる程に辛い気持ちです。そして退会してしまうと他の会社さんが私のエリアでアイフルホームを行うのです(鈴鹿・四日市・桑名)。それも辛いですね...。一生懸命に地元で育てたアイフルホームをどこかの知らない会社がやるのですから、私としてはやり切れない悔しい思いがあります...。
はい、気を取り直してアイフルホームの日本初の『住宅革命』をお話ししましょう。私の青春(?)を全てかけて全力で努力した26年間の良い思い出ですね。
①『価格破壊』でした。これはもう私としては大変に楽しい毎日でした。ハウスメーカーが坪当たり50万円・60万円で建築しているのに、アイフルホームは坪当たり26万8,000円だったのです。
②『定価販売』そのころ日本中に住宅の定価はありませんでした。一棟一棟計算して、見積り書ができて住宅の価格が決まりましたが、アイフルホームは見積り無しで『定価』の値段で販売したのです。これが凄くムダを無くすことに成功して、住宅の激安価格が実現しました。
③『実物モデル販売』そしてその定価で買えるものと同じ住宅のモデルホームを作って販売したのも日本初でしたね。だいたいどこでもモデルホームを豪華に作って高くて買えないモデルばかりでしたから、正直な住宅販売でした。
④『FC住宅』日本初フランチャイズ組織の住宅販売に成功しました。今でも日本一のFC住宅の実績です。何がいいかと言うと『教育』がしっかりしていました。そして『トヨタの横展』(良いとこ取りの横展開)で、加盟店の良いところを全国の加盟店が真似してみんなで実行して全体が良くなる仕組みでしたね。
なつかしい思い出ばかりのアイフルホームでアサヒグローバルはトップレベルの成績だったのです。本心で退会はしたくないのですが...。アサヒグローバルさんが少し大きくなりすぎましたね。もうアイフルホームの決められたエリアでは会社が生きて行けないのです。
『退会』ではなく『卒業』と考えてください。そして次の目標に向かってグローバルタウンを三重県と愛知県に展開していきます。宜しくお願い申し上げます。